信じるということ 祈るということ

祈りがどのように答えられてきたか、自分の弱さ・強さをよくご存じで、神様がどのように導いてくださったかを記録します

スイッチを入れる

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【スイッチを入れる】 毎週日曜日の6時半から、4月にバプテスマを受けた友達を含めて、4人で、早朝オンライン日曜学校をしています。たまに寝坊して、ごめ~ん、というゆるい感じで、ほんとに楽しい。今日は寝坊せず、6時15分からスタート。

 

福音の原則の46章を毎週一つずつやっています。 私は高校生の時、両親の許可をもらえるまでバプテスマを受けられなかったので、この福音の原則の本を何回学んだか分からないくらい学んで、大好きな本です。

 

今日のテーマは、18章のイエス・キリストを信じる信仰でした。 https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/gospel-principles/chapter-18-faith-in-jesus-christ?lang=jpn

 

信仰、というと難しいようだけれども、私たちは、実がなると信じているから種を蒔くし、良い情報が得られると信じて本を読む、まだ見ていないけれども、自分が得たいと望む、良い結果を待ち望んで、行動を起こす。それがFaith。(日本語では信仰と訳されているので、少しニュアンスが違うけれども)。

 

イエス・キリストを信じる信仰は、悔い改めたいという望みを起こし、それによって、イエス・キリストの贖いの効力が身に及ぶ。それが、実。

 

この18章の中には書かれていなかったけれども、じゃあ、何が信仰を妨げるのだろう、と話し合っている中で、自分の弱さかな、という話になり、自分にそれができる、と信じることができるかどうか、だね。と。

 

その時に、ふと浮かんだのは、「スイッチ」 どんなに暗くても、スイッチを入れたら、電気がつく。そのようにセッティングされていて、電気代も払っていて、電気が通っているから、おじいちゃんがつけても、赤ちゃんがつけても、病気の人がつけても、貧しい人がつけても、すごい能力のある人がつけても、疲れていても、弱っていても、打ちひしがれていても、スイッチを入れたら、電気がつく。

 

それと同じように、どんな状況でも、信仰を持って、「スイッチを入れる」こと、信じて祈り、自分にできることを行うこと、で、電気がつく。自分の望むタイミングで、望むようにはつかないかもしれない、でも、スイッチは入れられる。それは自分で選べる。

 

だから、自分のことで、あーだこーだ考えている時間を減らして、とにかく「スイッチを入れる」! これで2021年やっていこう!という話で盛り上がり、7時に閉会のお祈りをして終わりました。

 

あのときのひらめきと、盛り上がりを、うまく書き表せないけれど、記録に、そして、誰か必要としている人のために、書いておこうと思いました!