信じるということ 祈るということ

祈りがどのように答えられてきたか、自分の弱さ・強さをよくご存じで、神様がどのように導いてくださったかを記録します

別人になるプロジェクト3

3/2200

2020/12/10

Jesus Christ

is circumcised, Luke 2:21 割礼.ルカ2:21

八日がすぎ、受胎のまえにみ使いが告げたとおり、幼子をイエスを名づけた。

 

is presented in the temple, Luke 2:22–38. ルカ2:22–38

主の宮に連れていかれるイエス

主の宮で、シメオン、女の預言者は、イエスが救い主であることを悟った。

それを聞いて、ヨセフとマリアは、おさなごについて偉大なことが語られることを不思議に思った。

み使いから告げられ、奇跡的な誕生を遂げても、やはり、不思議に思ったとある。

親として、自分の子どもが神の子であり、人々に救いをもたらす存在であると告げられるのは、どんな気持ちなのだろう。

 

でも、自分自身の子どもたちも、やはり神の子で、人にすくいをもたらす存在であることも、覚える必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スマホの真のやばさ

こんな記事を見つけた。

 

toyokeizai.net

会議に出ながらスマホをチェックし、別の会議の資料を作り、子どもの用事も済ませ、メールに返信し・・・。

 

短時間に多くのことをこなせるのは効率的だと考えがちだが、実はそうではない。自分の能力を低め、脳を披露させ、非効率な作業をしているのだ。

 

やはり、マインドフルネスは脳の筋トレというのがよく分かる。

 

30分、この仕事をする、と決めたら、スマホのスイッチは切り、その時間はそれだけに集中することにしよう。

 

私が心掛けているのは、ほんの少しの時間でも、何かを待つとき、例えば、PCが立ち上がるのを待つとき、ファイルが開くのを待つとき、ペットボトルに水を満たすとき、お風呂、トイレ、車を運転していても、目を開けながらお腹で感じる呼吸に注意を向けている。

 

あ、これを書いていても、メールが届いて「ピコーン」と鳴り、すぐに目を向けた。それに目を向けないようにするたびに、脳は疲労しているのだ。それがとてもよく分かった。

 

今朝、BrownUniversityのMBSRを教えるためのティーチャーズトレーニングクラスの説明会に参加した。世界中から70名ほどが参加していた。日本の方もいた。それに参加するには、MBSRを受講したことがあることと、5~7日間のリトリート(対面、ティーチャーがリードしている、一日12時間以上、休憩は2時間以内という条件がある)に参加したことがあるという条件がある。

 

1月末からこのトレーニングを受けたいので、リトリートを探してみると、ちょうどいいのが1月中旬にあった。しかも時差があるので、夜10時から翌日10時までになる。連休で、ほとんど休まなくて済む。これまでは、海外でしかやっておらず、休みを取ること、飛行機代、滞在費など、ハードルが高かったが、オンライン万歳!

 

本当の自分の能力を開花させるために、大切なことに全注意を向けること。そんな贅沢な時間を楽しみたい。

 

コロナで神殿も閉鎖されているが、神殿がオープンしたら、そこでも、本当に神様とつながる時間を持ちたい。マインドフルネスMindfulness=プレヤフルネスPrayerfulness。新たな自分を発見できる気がする。とても楽しみ。

別人になるプロジェクト2

イエス・キリストについての2200の参照聖句を読むことで、別人になるプロジェクト 2

Jesus Christ

2/2200

is born, Matt. 1:18–25 (Luke 2:1–7).

エスの誕生 マタイ1:18–25 (ルカ 2:1–7)

もうすぐクリスマス。クリスマスの本当の意味を見直す。

 

マリアと同じように、ヨセフもまた、天使の訪れを受けて、それまで離縁しようとしていた考えをすぐに変えた。

2人とも素直で純粋な心を持っている。

 

救い主イエス・キリストの父と母となるということについて、これまで考えたことがなかった。

いったい何ということだろう。

彼らが選ばれた、大切な意味があるのだろう。

その一つは、この素直で純粋な、すぐに受け入れる心だったのだろう。

 

私もそのような心を持ちたい。

 

 

 

 

 

 

なぜ、すべての子育てのアドバイスは間違っているか

2020/12/06

昨日の夜中、折戸姉妹と話すべき!と感じて、今日連絡をして、40分位、久しぶりに話せた。

 

その中で、このビデオのことを教えてもらった。

 

https://youtu.be/5g8tHEXtCXE

 

TEDTalkで、子どもの発達心理学の専門家が、メタアナリシス(研究をまとめて分析した研究)の結果から、いかに子育てするかは、子どもがどのように育つかには、影響しないということが分かった、と語っている内容。

 

親がどのように育てたかで子どものどのような子になるかが決まる、ということが、いかに誤っているかを説明するのに、蝶々の羽の羽ばたきによって、トルネードが起こる、と言っているようなものだ、という比喩を用いていた。

 

いや、でも、そうかな、やっぱり、親がどう育てたかによって、子どもは大きく変わるよね、という話をしたとき、折戸姉妹が、もちろんそうだけれども、でも、彼女が言っているのは、親だけではなく、たくさんの要因があるということ、特に、同じように育てても、兄弟がみんな違った育ち方をすることからも、やはり、子どもが本来持って生まれたものは、非常に大きいと言うこと。

 

いちばん大切なのは、親が、自分がこんな風に育てたから、と自分を責めないようにすること、子どもが、親にこんな風に育てられたからだと、親のせいにしないように、ということ、そして、誰か他の親のことを責めないようにすることがとても大切、と締めくくっていた。

 

Same Event, Different Experience.

 

同じことが起こっても、人によって、全く異なる経験として捉える。

 

親がどんなに子どものことを心配してアドバイスを言っても、ある子どもはそれをありがたいと思うし、ある子どもは、うざいと言って遠ざける。

 

世の子育て本、子どもをハッピーな子ども、成功する子ども、責任感のある子どもに育てるには、という数々の本があるが、それは無理な話なのだ、結局、子どもをコントロールすることは、ほぼ一ミクロンもできないのだ、ということを言っていた。

 

いや、もちろん、教え方、導き方によって、子どもは大きく変わることは間違いない。

でも、そうだとしても、同じやり方でも、うまくいかない子どもがいるということ、そして、それは当然だと言うこと、だからと言って、親は自分を責める必要はないということ。

 

マインドフルペアレンティングのプログラムを受けて、他のプログラムと全く異なるのは、それだと思った。

 

こうしたら、子どもが言うことを聞く、とか、こうしないと、子どもはこうなる、ということは全く書いていない。

 

いかに、子育てはストレスフルであり、親もいろんなストレスやトラウマを抱えていて、それがいかに子育てに影響しているか、だから、自分を責める必要はない、でも、ただ、自分のあるがまま、子どものあるがままを見て、味わい、受け入れられない気持ちも認めてあげる、そうすることで、今までのように反射的に行動していたのを減らすことができ、今を楽しむことができる。

 

そのTEDTalkの科学者が最後に語っていたのも、同じことだった。

 

今の子どもを楽しむこと。親にできるのはそれだけだと。

 

私は、マインドフルペアレンティングを翻訳しながら、自分が自分を縛っていた鎖が解けていったことに後で気づいた。

それまでは、キリストの贖いを信じているのにも関わらず、また、マインドフルネスを人に伝えて、過去にとらわれないように、と言いながら、やはり、自分があの時ああしていたら、もっと違っていたのかもしれない、という苦しみから逃れられなかった。むしろ、静かに瞑想するたびに、それに気づき、余計につらい気持ちになっていた。

 

でも、それは必要なプロセスだったのだと思う。

 

マインドフルネス、そして、それだけでない、様々な科学的な根拠、事例を読み、何かがストンと自分の中で落とし込まれた感じがする。そうやって初めて、自分が信じる事柄の意味や意義、力を、妨げていた自分のバイアス、ゆがんだメガネがぽろりと取れて、見えなかったことが見えたように思う。

 

毎週日曜日は、朝6時半から友達と福音の原則を学んでいるのだが、今日は、ただいろいろな話をしただけだったが、その中でも、同じことを学んだ。

 

子ども、特に、難しい子どものおかげで、自分たちは親として本当に鍛えられ、成長し、すっごくいやなやつだったのが、もう少しましなやつになっているんだね、と。

だから、子どもたちは、イエス・キリストと同じように、私たちの救い主のパートナーとなって、すごく大きな業を、使命を果たしてくれているんだねと。

そうやって、私たちを真に精錬してくれているんだね。

 

子どもの一人の彼女が、「すごく優しいです。いつも助けてくれてます。ほんとうに幸せです。だから、お父さんとお母さんとおばあちゃんに毎日感謝しています」とメッセージをくれた。生きているといいこともあるんだなあ、ってつくづく思った。

 

だから、若いお母さんたちに伝えたい。

 

本当に大丈夫。今いろいろ心配していること、何も心配することないよ。大丈夫だよ。本当に大丈夫だよって。

 

私も、生きているのがつらいな、しんどいな、と思うときが長くあったけれど、今、昔の自分のところにタイムマシンで言って、ぎゅーって抱きしめてあげて、100回でも200回でも言ってあげたい。

 

大丈夫。ただただ、彼の、彼女の持っている一つ一つの賜物、個性を楽しんであげて、貴んであげて、見つめてあげて、聞いてあげて、信じてあげて、助けが必要だって言ったら助けてあげて、待ってあげて、それだけで大丈夫だよ。大ファンでいてあげれば、それでいいんだよ。勉強とか、ピアノとか、それはね、そんなに大事じゃないよ。本を読んであげること、一緒に何かを作ること、ただ寝転がってじゃれ合うこと、きらきらする目を見つめてあげること、体をたくさん撫でてあげること、抱きしめてあげること、どんなに素敵な子どもかを伝えてあげること、何をしても、ありがとう、って、心から言ってあげること、イライラしたら、ちょっと離れて、「お母さんイライラしてるから、ごめん。お休みください」と言うこと・・・。

 

そんなこと、タイムマシンから降りてきて、急に言われても、「は?」と思って無視するかもしれないけれど、でも、それが真実だよ。親として、私たちにできる、最もよいことだよ。

 

マインドフルペアレンティングを通して、それをたくさんの人に伝えられる、そう思うと、本当にうれしい。

 

 

 

 

 

 

 

キリストのことを話す 

2020/12/06 Sun

リアホナが今日届いた。断食しながら、これから私は何をしていけばよいか祈りながら、リアホナを開くと、アンダーセン長老の「キリストのことを話す」のページだった。

www.churchofjesuschrist.org

前に聞いたけれど、改めてじっくり読んで、これが今自分が本当にしたいことだと感じた。

 

「ネルソン大管長がしたように自分を備えるならばわたしたちも別になれることを、皆さんに約束します。「救い主のことをさらによく考えるようになり、救い主についてさらに頻繁に、以前ほどためらうことなく話すようになるでしょう。救い主に対する知識と愛が深くなるにつれて、子どもの一人について話すときや仲の良い友達について話すときとお内容に、言葉が口をついて出てくるようになります。聞く人たちは議論したり話を切りあげたりする気持ちが薄れ、あなたに耳を傾けて学ぼうという気持ちが増すでしょう。」「キリストのことを話す」

 

92歳のネルソン大管長が「別人」になったと語られた変化を自分も経験するために、そして、キリストについて証することで、子どもたちに自分の証を残し、また、それを必要としている人に届けるために。

 

早速今日からネルソン大管長の勧めに従って、聖典のTOPICALGUIDEのイエス・キリストの項の2,200の参照聖句をさらに深く研究することを始めた。

www.churchofjesuschrist.org

 

1年で終えるためには、計算すると毎日7個の聖句を読むことになる。

 

まず1/2200

預言されていたキリストの誕生 ルカ1:26-38 

天使ガブリエルが、マリアに訪れて、イエスの母になると告げる部分。

アンダーセン長老の「キリストのことを話す」に、イエスの再臨のときには、すべての天使とともに、来られるとあり、少数ではなく、すべての天使とある。このガブリエルも、来られると思うと、キリストの再臨をもっとはっきりと思い描くことができるような気がした。

 

神の御子の母になると告げられて、「どうしてそんなことがあり得ましょう」といぶかしげだったマリアだが、天使ガブリエルから、「For with God nothing is impossible. 神には、なんでもできないことはありません。」と告げられて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりにこの身に成りますように。」とすぐに答えることができたって、すごくない?と思った。

 

私も、私たち夫婦も、難しいことや、自分の理解や能力を超える出来事に直面する時、

For with God nothing is impossible. 神には、なんでもできないことはありません。と信じて、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりにこの身に成りますように。」と言えるようになりたいな。

 

読んでみて、1年で終えるために、7つ無理やり読むのはやめて、じっくりと味わいながら、何年もかけて「別人」になるプロセスを楽しむ方がよいと思った。

 

ああ、楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.わたしの信じること

わたしはクリスチャンです。

 

16才の時にカナダに留学して、そこで初めて教会に行きました。

半信半疑で祈り始め、聖書を学び始め、小さな信仰の種は少しずつ成長してきました。

 

今日、2020年3月1日、10年日記を書きながらこれまでを振り返り、これまでの55年の人生で本当にたくさんの奇跡の連続だったと、改めて感謝があふれました。

 

それをこれから一つ一つ、大切に綴っていきたいと思います。